庭は贅沢なもの?


贅沢は味方 もっと欲しがります 負けたって勝ったって この感度は揺るがないの貧しさこそが敵

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東京事変『キラーチューン』
http://www.youtube.com/watch?v=T4Off7Kwt2w

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庭は贅沢なものだろうか。
庭に経済的な生産性は殆どない。むしろ、それを作る人間としては、経済的な生産性をもつ庭を作る方が難しい。せいぜい畑を庭に取り入れたり、果樹を植えるぐらいのものだ。それを思うと庭は贅沢なものだと思う。

今回の大震災で、プロ野球に代表されるように、経済活動や浪費的、祭り的な催しに対する自粛ムードが漂っている反面、復興に向けて経済活動は活発に回すべきだと言う議論がある。最初に書いたように庭を作ることはそもそも経済活動と関係が薄いので(お施主さんのお金はかかるがこっちが何か生産する訳ではない)、議論にも入れないような感覚がある。庭師という職業は緊急時に社会のためになるようなことは出来ない、、個人として募金やボランティアなどは出来るにせよ。。

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庭づくりというのは、サービス産業の中でも、ケッコウな隙間産業だと実感する。そのとき、庭づくりを肯定的にとらえるために、冒頭に書いた「贅沢」ということ自体について考えることになる。何かをさして「贅沢だ」というとき、良い意味と悪い意味が含まれている。悪い意味では、無駄な浪費への悪罵を意味し、良い意味では、豊かさを感じていることの表明になる。

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贅沢ということばは、消費活動と関係ないココロの喜びの表現として使われるとき初めてポジティブな意味を持つことが出来る。そしてそういう庭を作ることが、これからの庭師の存在意義になる。もうすでに、今の庭の潮流自体が、高価な材料で技術の粋を尽くしたような目に見える贅沢さからずいぶん遠くまで来たことは感じている。雑木林風の庭しかり、ガーデニングブームしかり。
さらに考えを進めると、正直、プロの庭師に頼らず、こころある人が自分の手でコツコツ作る方が良い庭が出来る気がしている。付け加えて、自分の手で作った方がその庭を絶対好きになる。そこまで考えてしまうと、本当に庭師の存在意義が怪しくなるが、それでもプロでないと出来ないこと、素人さんよりずっと上手に考えられることが沢山あるので仕事として成り立っている。
だから庭師は、鑑賞価値のある庭を常に平均点以上で作ることが出来る。でも、もうそれがココロの為になるのかはわからない。

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もしかしたら、庭を特権的に作ることから離れて、常から庭師が考えていること、理解したこと、技術的なことを、色々な形で開放して、活用してもらうことがこれから大事になっていくのかもしれない。一回空っぽになればまた新しいものが入ってくるかもしれない。