コピー&ペースト

岩手の伝説のジャズ喫茶一関ベイシーの菅原さんと、東北に多くの作品がある建築家、石山修武さんの震災後のやりとりを読んで、ネットのニュースでこんがらがっていった自分の気分が、やっぱりまず、かなしいということなのかもしれないと思った。昔仙台に住んでいたことがやっぱり大きいのだと思う。東北に対するシンパシーがある。東北高校出身のダルビッシュ選手が、野球なんてやっている場合じゃないと言った発言は、きっときちんと悲しむ時間がないと、勇気とか復興とか、そんな力がでないのでは、ということなのだろうと思った。これは被災地の為に節電とか消費の自粛をすること、また被災地に遠慮するとかそういう現実の行動とは別で、そういう諸々で奥の方に隠れてしまっている気持ちの問題。
しかし被災地の人たちは、きっと今は悲しむ余裕の無い人も多い。被災地においては気持ちよりも行動が優先されるだろう。東京の人もきっと混乱の中にあって、多くの人がまともに悲しめていない。

引用先:http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/outofprintcorrespond.html#110322

        • -

石山さん

素晴らしいメッセージを早速ありがとうございました!

「朝日」の記者がそのうち何かいいコラムを考えてるみたいです。タイミングを見計らってということでしょう。

三陸海岸は地中海のような明るさもなく、わびしく、けなげにあったんです。トコトン悲しいです。

こんな時、石山さんに会いたいです。

3/22 ベイシー 菅原正二

        • -

岩手県一ノ関ベイシー店主からFAXをいただいた。先日、地元の朝日新聞から菅原さんに、石山に何かを書けと言ってくれと言われ、それで小さな文章を寄せたのに対する礼状である。しかし、普段の菅原正二を知る人間としてはギョッとする様な内容ではある。

こんな事を書いて来る菅原正二には初めて会った。その気持を想い、泣いた。まだ他人の気持に泣く情熱がすっかりすれからしになっちまった自分に残っているのに驚いた。

菅原さんには申し訳ないけれど、本当に無断で紹介してしまう。こんな時だ。彼も許せないことを見ぬ振りをするだろう。

男が、これ程の悲しみに、大津波、大地震のこと計りではなく、東北の町の、村の、都市の根深い哀しみを感じ続けて60年の歴史の重なりの哀しみである、コレワ。

三陸海岸にこれからも生きる人々に今は言葉はいらない。メシと灯油と一輪の花を。