樹を植えることについて

本日の『ほぼ日刊イトイ新聞』のイトイさんのコラム。
樹を植える事について、一本の樹が記憶、想い出のよすがになる。
樹を植え、その成長を見守ると、目に見えなかった時間そのものを見たり感じたりする事が出来るようになるのかもしれません。
このコラムはアーカイブになっていないので全文引用さして頂きました。

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「今日のダーリン」

・「木を植える」というのは、どうだろう。
 ふと、そう思いつきました。
 今年、2011年という年に、東北ばかりでなく、
 全国どこでも、木を植えるというのどうでしょうか。

 失ったものは、たくさんあります。
 それは数えきれないほどあるのですが、
 その空白に、建物ができたりするだけでなく、
 ついでのようにでもいいので、木を植えるのです。
 沖縄でも北海道でも、植えられそうな場所に木を植える。
 
 記念樹だと思って、植える。
 庭に一本でもいいし、街路樹としてでもいい。
 新しい並木をつくろうというつもりでもいい。
 長い時間、このことを憶えていようと思うから、
 木を植えて、樹木が生長するのを見続ける。
 
 子どもの背丈にも足りない苗木を、
 たとえば学校の庭に一本でも二本でも植える。
 お金もたいしてかからなそうだし、簡単なことです。
 2011年、この国には大変なことがあった。
 そのことを心に刻むばかりでなく、
 うれしいことに変えられるようにという記念樹です。
 
 ひょろっこい苗木が、頼れるような太さになったころ、
 「あの震災の年に植えたんだよね」なんて、
 ちょっと懐かしむくらいの気持ちで、
 その木を見ることになるでしょう。
 きれいな花をつける木だったら、
 花の咲く時期には、うれしそうに人々が集まるでしょう。
 植えられた木と同い年の子どもが、おとなになったころ、
 「どういう思いで植えたんだろうね」なんて、
 いまのおとなたちの気持を想像するかもしれません。
 
 落ち葉の掃除が、ちょっと迷惑をかけるかもしれない。
 日差しの強い夏には、日陰をつくってよろこばれるかな。
 小鳥やセミの休憩所にもなるんじゃないか。
 たくさん山に植えられた木だったら、
 切られて何かのお役に立ちはじめるかもしれない。
 ふと、思ったんです、未来を植えられるぞって。

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