庭をつらぬくもの

(京都、北白川瓜生山中腹。臨済宗中興の祖、白隠の病を救ったと言われる白幽子の住まいとなっていた磐座である。明治には富岡鉄斎も顕彰碑を建てている)

大阪の著名な作庭家、武部正俊さんの主催するガーデニング研究会の「一休に関わる庭探訪」に参加してきました。
京田辺酬恩庵大徳寺の真珠庵、また一休生家にほど近い西芳寺、地蔵院などを回り、その合間には、磐座も数カ所たずね、一休に関わる庭に見られる石組みと磐座との結びつきを説き、文献や庭から導かれる一休論に託しながら、ご自身にまで貫かれる作庭論を語られるというとても刺激的な見学会でした。

「庭を作りながら、何かもっと大きなものに通じたいと願う」
自分の身につまされる言葉がありました。

庭を作る時、目先の目的に応じたもの作りをしていると、常に目的があり答えがあるということに縛られる事がある。
そんなとき、自分のやっていることがむなしく思える事があります。
答えが既にわかっている、<という思い込み>による、機械的計算のような庭づくり。

自分がなぜ庭に惹かれたのか、武部さんのお話を伺いながら反芻することになりました。
庭には空間だけでなく時間が流れているということ。
庭は庭であり、建築や写真ではないということ。

空間が時間であり、時間が空間であるような、庭があるのではないか
それは、目的性や社会性を持った表現とは異なって、無意味な、しかし人に深く通じる音楽のような。


そのことについて改めて自分なりに突き詰めていきたいと感じさせられました。


以下、個人的リンク集
☆ガーデンニング研究会を教えて頂いた辰己さんのページ
http://green-space1991.com/
☆同じくガーデニング研究会を教えて頂いた古川庭樹園さんのページ
http://www.teijuen.com/
☆今回の見学会にも参加されていた、建築家との協業の最前線をゆく造園家、荻野寿也さんのページ
http://www.o-g-m.co.jp/
☆一休の著作、狂雲集に対しての松岡正剛さんの評
http://1000ya.isis.ne.jp/0927.html