上機嫌

パンフレット配り。
山陵町の丘の上の方の住宅地。山陵(みささぎ)は御陵(みささぎ)の意で、この町には沢山古墳があるその周囲の池に桜が咲いていた。

みささぎの おほりを巡る なだら道 汗ばみくれば 春は一手に(保田與重郎)。
保田さんもこんな景色を見ていたのだ。春の光が写真に写ってきた。本当に明るく優しい光だ。色々考えていて、思い出して、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社)を読み始めた。江戸から明治初期に掛けての市井の日本人の様子。読んでて明るい気分になる。ものが無くても上機嫌に生きることが出来ていたことがわかる。その土壌がその時代にはあって、今は無いものなのかも知れないが、こうやって読んで明るい気分になるなら、どうにか真似したら実現出来るんじゃないか。先月の『BRUTUS』の糸井重里特集の中で、上機嫌でいることが弱い人間が生きる術なんだと言っていた。
でも、上機嫌でいるのはある意味、強さもいることで、気を付けて、忍び寄る不機嫌を撃退しないと守れないものだとも思う。
近年のモヤモヤがクリアになってきたかな。いい感じ。春です。。!